カトリック高輪教会

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2020年08月07日(金) 主任司祭の思い出<岩﨑 尚 神父>を追加しました


2020年6月15日(月) ミサの再開に関するお知らせ

・6月10日に東京大司教区から発表された菊地大司教様のメッセージ「教会活動の再開に向けて」の趣旨と指針に基づき、高輪教会では、6月21日より「条件付きミサ」を開始することといたしました。
この「条件付きミサ」は、聖堂内で互いに1.5~2メートルの距離を保つために入堂人数が限られることから、ミサへの参加は高輪教会の信者に限定し、事前に予約していただく方式で行います。皆様のご理解とご協力をよろしくお願いいたします。
・ また、このミサの期間、毎週土曜日の17時から日曜日の13時まで、「条件付きミサ」及びそのための感染対策の作業のため、ミサ参加者と受付などの奉仕をして頂く方以外は聖堂に入ることはできません。併せて、ご理解くださるようお願いいたします。


入門講座について

未信者で受講をご希望される方は教会にお問い合わせ下さい。

聖書講座の今後の予定について

聖書講座に関しては、9月以降に再開する予定ですが、現時点では全くの未定です。

<岩﨑 尚 神父>


1984年4月から1994年4月まで主任司祭

40歳になったばかりで赴任した意気軒昂な岩﨑神父は、過密スケジュールをこなして中高生会や日曜学校にも力を注ぎ、若者の育成に尽くしました。
老朽化した木造の高輪教会を新築するという使命を託されていたため、1985年に建築委員会を発足し、その計画は着々と進められました。途中体の無理がたたって、急性肝炎で入院することもありましたが、1989年3月19日に白柳大司教を迎えて献堂式を行いました。
   
2006年2月14日 帰天

岩﨑師の思い出

私が高輪教会に通い始めたのは1983年の春で、その頃は岩橋神父が主任司祭でした。とてもフレンドリーかつ活動的な神父様を中心に、高輪教会は一つの家族の様な、とても活気あふれる集まりでしたが、就職で東京に出てきたばかりの私は、その集まりの輪に入ることに何となく気おくれしていました。

そんな中、翌1984年の春に岩﨑神父が着任されました。前任の岩橋師と同じく大変気さくな方でしたが、どこか硬派な雰囲気があって、キャラクター的にはかなり違った印象でした。
当時神父様は40歳になられたばかりで、気力・体力共に充実した年代とは言え、それまで助任司祭と助祭を含めた3人体制だったのが、岩﨑師一人の体制となり、御ミサはもちろん、聖書勉強会、座禅の会、教会学校などの活動、さらには年間200回もの結婚式の司式をこなすなど、このエネルギーはいったいどこから来るのかと不思議に思うほどでした。

高輪に来られて最初の頃だったと思いますが、古い木造の日本家屋だった司祭館1階の「マリアンナの部屋」で、信徒が自由に参加して、お酒などを飲みながら語り合う会を、毎週続けておられたことがありました。
私もその会に、何度も参加したおかげで、親しく話せる方が増えましたし、高輪教会に少しずつ溶け込むことができる様になりました。

その頃日曜学校の「リーダー会」には、中高生会を卒業した若者が多く集まっていて、シスターたちと一緒に活発に活動していましたが、「青年会」の方は私の様な「移動信徒」が主体で、それほど活動的ではありませんでした。岩﨑師はこれをご覧になって、もっと活性化させる必要性を感じられたのでしょう、聖書勉強会に通っている女性に青年会への参加を勧めて下さったりして、男ばかりで少し暗めだった青年会が、だいぶ明るくなった記憶があります。
その後青年会の活動は活発になり、ある時は壮年会の皆さんとソフトボールの対抗戦をしたり、北品川の焼鳥屋さんに飲みに行ったり、泊まりがけで旅行に行ったりと、忘れられない楽しい思い出が数多くあります。
岩﨑師は、こうした青年会への働きかけにとどまらず、ミサには来ても教会の中で「居場所」がないような方に声をかけ、機会を見つけて何らかの役割を与え、教会活動に関わるきっかけを作る努力もされていました。こうして高輪教会のメンバーの輪が更に広がり、それまで以上に共同体としての一体感が強まったような気がします。これは、岩﨑師の大きなミッションの一つであった「教会の建替え」を実現する上でも大きな支えになったと思います。

少し話は変わりますが、岩﨑師はとても音楽好きだったそうで、若い頃はオーケストラのコンサート等にもよく通われていたとのこと。しかし、求道者の道に入るに当たって、そのような楽しみも含めて、全て捨て去ったそうです。ただし、唯一手元に残したのがオーディオ装置で、ある年の四旬節の頃に、この装置を木造の旧聖堂に持ち込んで、バッハの「マタイ受難曲」を聴く会を開かれたことがありました。私もクラシック音楽が好きでしたが、この曲はほとんど聴いたことがなく、最初のうちは暗くて難解な曲だなと思いながら聴いていました。しかし、耳馴染みのあるコラールの旋律(黒い表紙のカトリック聖歌集171番「いばらのかむり」のメロディー)が出てきて少し親しみを感じ、キリストの受難の場面を想像しながら聴き進むうちに、バッハの劇的な音楽を通してキリストの受難を追体験するという、貴重な機会を得ることができました。

岩﨑師が天に召される1年ほど前に、主任司祭をされていた五井教会を訪ねたことがありました。その頃はかなり体力も落ちていて、祭壇を上るのもつらそうなご様子でしたが、お祈りをとても大切にされていた神父様でしたので、今こうして静かに祈る時間が与えられたことを素直に喜んでおられる姿が心に残っています。

岩﨑師が帰天されたのは2006年2月14日のバレンタインデーでした。青年会の関わりの中で、岩﨑師のお導きによって結婚のお恵みを頂いた私たち夫婦にとっては、この日に帰天されたことが単なる偶然とは思えませんでした。
我が家のバレンタインデーは、岩﨑師のことを思い出し、多くのお恵みを頂いたことを感謝しながら過ごす日になっています。

(吉田 竜太 様)