カトリック高輪教会

歴代司祭の思い出

<ジェラルド・ケリー神父>


1959年から1970年まで主任司祭

カナダに本部を置くスカボロ外国宣教会で叙階され、1949年来日して、高輪教会初代主任司祭として11年間高輪の地で宣教しました。 1959年11月22日に高輪教会が産声をあげますが、来日からの10年間を振り返り、「10年にわたる私達の希望と祈りとが(一時は絶望と思われたことさえありましたが)神の摂理によってここに実を結ぶに至ったのであります」と小冊子に記しています。さらに「高輪教会に誇るに足るものがあるとすれば、それは江戸の殉教者の反映に過ぎないのであります」と高輪教会の使命をはっきりと示しています。神父を知る人は、とてもウィットに富んだ近づきやすい方で、老若男女貧富の差別なく誰にでも温かく接してくださったと語っています。
1981年12月14日 58歳の誕生日翌日に帰天

ケリー神父様に導かれて

森村学園の直ぐ手前の持田邸が教会になったと言う事で、偵察に出掛けたのが1959年の11月だった。

教会の石垣の下から新しく出来上がった教会とキリスト像を見上げている時に一人の背の高い、一見怖そうに見えた外国人神父が「シンジャサン デスカ?」と声をかけてくださったのが教会との最初の出会いでした。

僕はその時は「No!違います」と答えると神父様は「明日この教会の献堂式があります。是非きて下さい」流暢な日本語でお誘いを受け、次の日に幼友達のもう一人の悪餓鬼と恐る恐る教会を訪ね一番後ろの席に陣取ったのを覚えています。

ミサの最中は祈りの言葉も知らず、立ったり、座ったり、跪いたりするタイミングが全く合わず、一人で恥ずかしい思いになっていました。 幼友達は途中でいたたまれず逃げ出して帰ってしまいました。

僕は途中から逃げ出す勇気も無くて結局最後まで居たのです。 式次第がようやく終ってさあー逃げ出そう、帰ろうと思って居た処を前日お会いした神父様が飛んできて「良くいらっしゃった。これから集会所でパーティがありますからいらっしゃい」と言って集会所までエスコートしてくださいました。

それにしても、献堂式と言う重要な催しものの最中で、多くの教会関係者や大司教様がいらしているにもかかわらず、僕を見つけて集会室まで連れて行ってくださいましたケリー神父様には、父親以上の親近感を味わったものでした。

(堀川 忠 様)