カトリック高輪教会

歴代司祭の思い出

<ミカエル・カックス神父>


1970年から1979年まで主任司祭

1923年にカナダで生まれ、1951年秋に来日以来50年間日本で宣教活動に専念し、ケリー神父の後任の主任司祭となりました。 優しい性格で謙虚と質素を貫いた司祭の日常生活は、「生まれながらの神父様」と言われていました。日本語がとても上手で人の話によく耳を傾け、驚くほどの記憶力の持ち主でした。
2003年4月9日 カナダで帰天

カックス神父様の思い出

日本語が大変堪能な神父様でした。
私が知る歴代のスカボロ会の神父様の中でも傑出していたと思います。

特に印象的だったことの一つは、20分ほどの日本語でのお説教の原稿が全部ローマ字で書かれていて、正確な日本語だったこと。
もう一つは、当時、旧漢字で書かれていたミサ典書の日本語を全くつっかえることなくお読みになることでした。
中学生になってミサ答えを始めた私ですら読めなかった旧漢字の「體」はカックス神父様から教わったものでした。

またとっても穏やかなでゆったりした神父様でした。
前任のケリー神父様時代にミサ答えを始めた私は、ミサの始めに司祭と侍者とで唱えるラテン語のお祈り "階段祈祷" を早口で唱える癖がついていました。
ケリー神父様が気が短い方で、階段祈祷はいつも超特急で唱えねばならなかったからでした。 カックス神父様は階段祈祷もゆっくりと、且つはっきりと唱えられ、「ゆっくりでいいですよ」と優しく諭してくださいました。

私が所属していた青年会では様々な活動をしていましたが、当時三田にあったセントメリースクールのテニスコートを借りて時々テニスを楽しみました。
カックス神父様もお誘いしてご一緒した時、神父様は黒のスータンのままでテニスをされ、大きなおなかにもかかわらずドロップショットに猛ダッシュして打ち返されるのでびっくりすると、「修道院ではテニスのチャンピオンでした。あの頃はずっとスリムでしたよ。」と悪戯っぽくお笑いになったのを今でもよく覚えています。

神父様が休暇を兼ねてカナダに一時帰国をされた時、青年会で企画をした送別会で、「I Left My Heart in San Fransisco」を、神父様の故郷であるNova Scotiaに変えて「I Left My Heart in Nova Scotia」として歌ったらとっても喜んでくださいました。

中学、高校、大学時代の私の教会での活動の全てをカックス神父様が温かく支えてくださいました。
私にとってはまさに教会における父のような存在でした。

(岡田 洋二 様)