カトリック高輪教会

「ざくろざか」巻頭言バックナンバー

Vol.116(2019年12月)「神との近さ」(赤岩 聰 師)

 「イエスは上から目線ではなかったと思うんだよね」

これは、ある信者の方の言葉です。記憶を頼りにしているので正確ではないかもしれません。聖書の訳の表現の影響で、イエスの言い方が上から目線に思えるという趣旨を表す言葉です。イエスと私たちの関係、イエスを通して示された神と私たちの関係は、聖書の言葉を通して示されますが、訳の仕方や表現方法の影響を受けることは否めません。日本語訳の聖書における神やイエスに関する表現や、ミサを頂点とした典礼の中での日本語のお祈りの表現は、一般的に敬語が使用されています。

敬語とは「話し手または書き手が相手や話題の人物に対して敬意を表す言語表現。日本語では敬意の表し方によって、ふつう、尊敬語・謙譲語・丁寧語の3種に分けられる」lと辞書にありますが、日本語表現の中で難しいものの一つとされています。使う相手や状況によって、この3種の敬語すべてを正確に使うことは簡単なことではありません。一般に広まっている敬語表現の中には、間違えて使われている表現もあるそうです。

 フランス語においても、表現形式は日本語の敬語とは若干異なりますが、敬語表現があります。簡単に説明しますと、相手に対して使う主語がその相手によって異なり、それに伴って動詞の活用形が変わるというものです。具体的には、目上の人や初めて会う人などに対しては、「あなた(vous)」という主語が使われますが、家族や親しい者同士、子どもなどに対しては、「君(tu)」という主語が使われます。つまり、大雑把に言ってしまえば、話す相手に対して、「あなた(vous)」を使えば敬語的な表現、「君(tu)」を使えば親しみのある話し方であると言えます。

皆さんご存じの通り、日本の教会では、神に対しては「あなた(vous)」を使い、祈りは敬語表現であることが一般的です。ところが、フランスでは、日本語の表現に慣れ親しんだ私たちにとって、ともすれば違和感を生じさせる「君(tu)」という表現を神に対して使うことを通して、実際には「神の近さ」、「神との親しさ」を表しているのです。2ここで、イエスが父である神に向かって「アッバ、父よ」(マルコ14・36)と呼びかけだことを思い出される方もおられるでしょう。「アッバ」とは小さい子どもが父親に対して口にする「父ちゃん」という呼びかけのようなものであり、非常に親密な関係を表す呼び方でもあります。

 私たちキリスト者は、ミサや日常生活の中で神に祈ります。また、聖書を通して、神に耳を傾けます。ともすると、自分の思い込みに基づいた神のイメージのために、神の存在を遠くに感じてしまうことがあるかもしれません。そんな私たちとの距離を縮めるために、隔たりを無くすために、イエスは人を近づけさせる幼子としてお生まれになったのかもしれません。この幼子イエスの眼差しは下から目線であると言えるでしょう。私たち一人ひとりにとって、神がどれほどの親しさをもって、また、どれほどの近さで共におられるのかについて、今一度、思い巡らす御降誕祭でありますように。

高輪教会 主任司祭
  マリア・フランシスコ 赤岩 聰


1 デジタル大辞泉(小学館)より
2 フランス語の表現とまったく同じではないとしても、スペイン語の表現も同様です。