カトリック高輪教会

「ざくろざか」巻頭言バックナンバー

Vol.113( 2018年12月)「ざくろの丘」(古郡 忠夫師)

品川駅から緩やかな坂道を登る。わたしは他の人よりいくらか歩くスピードが速いらしい。何人か追い抜いて頂上の高輪教会にゴール。この坂の名前は柘榴坂という。なぜざくろなのか。ざくろの木があったためと言われているようだが詳しいことはよくわからない。先日、パーキンソン病を患い車椅子の祖母が教会に来た。春に洗礼を受けた祖母であったが、なかなか教会には行くことができないようだ。孫が生きている場所を見たいということだったのだろう。教会を案内し、向かいのホテルの中華を食べようと祖母の車椅子を押した。そのとき初めて教会の反対側にざくろが植えられていることに気づいた。いつもの早歩きだと分からないものだ。秋から冬になろうとする季節、ざくろの木は赤い実を見事に結んでいた。

聖書を開くとたくさんの実が出てくるのに気づく。ぶどうにオリーブ、なつめやし。ざくろもその一つだ(申命記8章8節、民数記13章23節など)。聖書におけるたくさんの実のエピソード、その中でも印象的なのは、イエスが実らないいちじくの木を呪ったというところだろう。

「一行がベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた。そこで、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなってはいないかと近寄られたが、葉のほかは何もなかった。いちじくの季節ではなかったからである。イエスはその木に向かって、『今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように』と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。」(マルコ11章12-14節)

なんとなくイエスの理不尽さばかりが印象に残る箇所であるが、果たして本当にそうだろうか。イエスはベタニアで飢えていたのである。ベタニアはヘブライ語で「悩む者の家」、「貧困の家」という意味だという。
ハンセン病の隔離村であったとも言われる(マルコ14章3節参照)。イエスは飢えた者たちが飢えたままになっている現実を見て憤られた、というのがいちじくを呪うというエピソードの真実だろう。イエスはベタニア村の嘆き、悲しみ、怒りを、そして飢えの苦しみを背負って歩まれた。その途上で、葉のよく茂ったいちじくに出くわした。飢えた者にその果実を提供することなく、ただ見栄えだけは芳しいそのいちじくの木。イエスはそこに欺瞞に充ちたエルサレムを見たのだった。苦しむ人を思うがゆえのイエスの怒り。聖書における実はいつも人々の飢えを満たすためのものとして存在している。

今年もクリスマスがやってくる。高輪教会も他のたくさんの教会と同様に馬小屋をこしらえる。イエスは飼い葉桶に寝かされている。ふかふかのベッドではなく、ウシやロバが首を突っ込んで飢えを満たす飼い葉桶の上に。イエスは飢え渇く人の食べ物となるためにこの世に来られ、飢え渇く人にご自身を与え尽くされるように生きた。悩みの中、貧しさの中で生きる人の友となり、一緒に泣いて、一緒に笑った。孤独を感じる人にわたしたちは神様にとってかけがえのないものだと語り続け、愛を育んだ。イエスを受け取るわたしたちが、ざくろの丘にたたずむわたしたちが、多くの飢え渇きを満たす交わりを生きられるように。そんなクリスマスを過ごしたい。

高輪教会小教区管理者 司祭 古郡忠夫