カトリック高輪教会

「ざくろざか」巻頭言バックナンバー

Vol.111( 2018年8月)「手と脇腹の傷跡」(古郡 忠夫師)

 神学生の頃、ハンセン氏病の元患者の方々と静岡県御殿場市の神山復生病院や東村山市の国立療養所多磨全生園などで何度か関わらせていただく機会があった。あるときそんな元患者のお一人が「カトリックの教義とは違うけれども、もし万が一、生まれ変わりがあったとしてもわたしはこのわたしに生まれたい」と言ったのをよく覚えている。手足や顔など身体に後遺症を持つその方の力強いことばに、わたしは全身が揺さぶられるような衝撃を受けた。その方は「わたしはハンセン氏病になったからこそ、愛する人と出会って、愛されることを知ったんだ。だからわたしはハンセン氏病になってよかったんだ」と続けた。傍らには同じハンセン氏病元患者のご婦人がニコっと寄り添っておられた。

 小学校の低学年の頃、自分が所属していた築地教会のサマーキャンプで五日市教会に行った。両親がともに東京生まれで田舎を知らないわたしは、美しい自然を前にテンションが上がり駆け回っていた。秋川という川が教会のすぐ側を流れ、その川が両側に土手を作っていた。わたしは興奮状態で土手から飛び降りた。川を渡る鳥のように高く高く飛んだ。そこまではよかった。着地の瞬間、膝に激痛が走った。小さな木が膝に突き刺ささって血がどぼどぼと出ていた。そのときの傷は今もずっと残っている。

 お風呂に入る度にその傷が目に入るのだが、その傷がなくなってほしいと思ったことはない。それはその傷を見る度にそのときの築地教会のリーダーたちが、心から心配してくれたことを思い出すからだ。直ぐに駆けつけ、大丈夫かと心配し、手当をし、病院へと連れて行ってくれた。親にも申し訳ないと頭を下げていた。あのときのリーダーたちのあたたかなまなざしを、傷を見る度に思い出すのだ。そして今、わたしもあのとき受けたまなざしを誰かに向けて生きていきたいと思っている。

 マルコの福音書の4章29節で、熱を出して寝ていたシモンのしゅうとめは、イエスに癒していただいた後に、一同をもてなした人になったと伝えられている。病気になった、それは辛い出来事だったけれど、そのときにイエスがわたしをかけがえのない者として見つめてくださっている、わたしを想ってくださって、ご自分のすべてをかけて向かってくださっている、そういう喜びと彼女は出会ったのだ。シモンのしゅうとめは、本当に自分のことを想っている、そういうまなざしと出会ったときに生き方が変わった。シモンのしゅうとめにとって、病に意味があったのだ。シモンのしゅうとめはまた病気になるのかもしれない。でも彼女は、そんな神のまなざしを知った彼女は、きっと苦しみを耐えられる。 

 わたしたちそれぞれが傷を負って、病を担って人生を生きている。今のわたしはたしかに傷を通して、病を通してつくられている。傷を受けたときに、病気になったときに、多くの人を通して神が恵みを注いでくださったから、今のわたしがある。復活のイエスは手と脇腹に釘の跡を持っていた。わたしたちも大切な傷、大切な病の体験とともに永遠のいのちを生きていくのだ。  今年も夏がやってきた。暑い夏が。たくさんの体験の中でこれからも傷つくこともあるだろう。たくさんの人との出会いの中で、ぼろぼろになることもあるだろう。でもその傷はきっと意味ある傷だ。たくさんの傷を負って、それでもなおいい人生だったと最後のときに思える道をわたしたちは歩んでいる。たくさんの傷を恐れずに出会っていく、そんな夏をこの高輪という場所で過ごしたい。わたしは司祭館の大き過ぎるお風呂に今日も浸かりながら、少しだけ折り曲げた膝を見つめてそんな思いを強くしている。
高輪教会 小教区管理者 司祭 古郡忠夫